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今週のお題「買いそろえたもの」
何かの与えられたものについて文章をかいてみるというのは小論文の勉強にいいと聞いた。
いや、そんな余裕ない遠回りはするつもりはないけども。昨日今日じゃない、間に合わせの一時凌ぎの短期記憶でもない、本質的実力ではあるのかな。とかく時間にゃ追われたくないのさ。
老いた人は、でも若い人の趣味を夢に繋げたがるよね。
私は多趣味人だけれど
やっぱり音楽って答えてしまうんだ。
美術ではなかったんだ。
でも楽理科
老いた人に、ついていきたいと思う。
ヤクザの道でもいい。私の敬愛する星野哲郎、畑あき、ASKAだってユーミンだって良く狂ってる。
音楽の人はちょっとリミッター外れてるっしょ。だいたいさ。
そういったことなんやろね。アドさん
日記を一気に書くと手も心も消耗するのだ。嫌気が差すのだ。
今日を、自分のその時の感情などで総括するなんて土台無理だからしたがらないのかも。
でも音楽を楽器で操る五嶋みどりのように
それが、究めるって
買い揃えたいもの。
私は道具にこだわりなどはないが、記者や映画ライターのような文字量を書いているので
例えばボールペンと顔を付き合わしている時間はかなり長い。のに事務用のジェットストリーム(家で買いだめのやつ)以外は勿体ぶってつかわない。
でもこの際形から入ろうと言った話
これは日常を芸術
高尚な、お金のかかる趣味の例でいくと
バイオリンでたとえると
シルクの巻きスカーフをエルメスにする
ペグを装飾のものにする
テールピースや顎当てを柘植にする
テールガットに凝る
アジャスターや管楽器のキイに宝石やスワロフスキーを貼っつける(これは宝飾品的な話だけども。笑)
ガット弦を張る。(モチベにもなるよね。)
レジェールとアルトグラスのオーボエ
脱線しましたね。
それと同列の文化搾取の効果が得られるのであり、安く済む文房具について語る。
まずノート。
全部の基本となるものだし、意識を上げるなら…
燕ノート。黒澤明
食やコスメの消え物、消耗品より、まずは長く使える経験や芸術品的価値のある日常のものがいいなと思う。
だって食とかコスメの品質を上げるともう戻れないし、お金に余裕ができたらというのも納得。
買い切りのものならそんな気にならなくない?
3/25
通っている病院で無知特権から脱却する人間としての読書をしていたら、流れてきたオルゴールのノクターンに身を任せて気付けば目を瞑っていた。
肩の力を抜き、耳に飽和した音楽からの解放という一種の非日常に、あるいは酔いしれていたのかもしれない。
椅子の背にはちゃんと背中をつけてリラックスしていた。
スマートフォンを触りながらの腹筋の力を抜いた姿勢など自然のものではないと、芸術家は猫のように夜開かなければならないと。