だから何?
6月29日。
久しぶりに日記を書いてみる。
自分だけにとどめておくのもなんだし、3月の頃よりは落ち着き払って日常を演技できるようになったし、
相変わらずApplePencilは見つからないがそのかわりかタイピングが少し早くなったので、まぁ色々なりふり構わず日記を書く。
とはいえ何も変わってはいない。習慣も悪ければ笑えてもいない。人に優しくする余裕がないんだね。今がタイミングでしかないんだ。失ったものを数えたらキリがないし、人生も時期をみて終わるだろう。すぐできることをするだけ。
アウトプットの時期に入ったという布石やね。
9月から今まで相当燻って友達もおらんようになってたんで、何もできなかったのですがまぁいずれ後日談として語ります...
去年の5月、一人山から降りた先の潮溜まりは、思えば停滞の象徴でした。
文章は心の迷いを簡単に映し出す心の鏡であると言われていますよね。部屋もそう。部屋の掃除をするか散歩するか、いっそ旅に出ろという話もあります。
とはいえ体裁に固執しているようでは一歩を踏み出せないのです。私は迷子の状態。
今日だって、地元の名産というかご当地の品を晩飯兼ねた土産に買って帰ったわけです。
でもしかし、観光地価格で高い高い。「ちよだ鮨」で私は十分だと思ったのでした。
暮らしが変わって良くなったこと、あぁ、まぁ過程を語るのは寒いので省きますが、家を変えたわけです。それは余計なものを買わなくなったということですね。
お金はやっぱり、余分にいただきたい。それくらいは思いますよ。だからね、飯は毎日同じようなことの繰り返し。ですが、それでいいかなと思うんです。欲しがらず、たまに贅沢するなら大胆に休む。人生はメリハリありゃこそですから。
自分にね、ずっと言い聞かせてきました。
過去の功罪の結果が今だと。だからいいんです。何も欲しくない。何にも媚びず、成り行きに任せた結果を風とか水に流したい。
心がなってないから、男は優しくないんですね。
然よなら。